改めて寝殿の左側、ムサンマン・ブルジュ(囚われの塔)へ向かいます。
こちらは娘の部屋の窓から撮った囚われの塔です。他の人が撮ったのを貰いました。
金色の八角形の塔が印象的です。
こちらはシャー・ジャハーン帝が造らせた塔で、塔内からはヤムナー河が一望に見渡せ、その向うにタージ・マハルが望める絶好の場所でもあります。川から運ばれる涼風で暑さをしのげるため、皇帝の寝室として利用されていたとも考えられているとか。インドは本当に暑くなるので、暑さをしのぐことは大切な事だったのかもしれません。
そして、三男のアウラングゼーブ帝によって、亡くなるまでの7年間、ここに幽閉されていた為、ムサンマン・ブルジュ(囚われの塔)と呼ばれているそうです。
なぜ囚われたかと言うと、シャー・ジャハーンは最愛の妻が亡くなってあまりの悲しみに一夜にして髭を白くし、1週間公の場所に姿を見せず、2年間宴を催すことはなかったとか。喪が明けるとシャー・ジャハーンは政治を半ば放棄し、妻の墓の建築を開始し、天文学的な費用をかけ、22年費やし完成したが、このため国は経済的に傾いたそうです。このあとヤムナ川を挟んだタージマハルの対岸に、黒曜石で真っ黒な自分の霊廟の建立し、その間を橋で渡す計画を立てていました。しかし、ムガール帝国がシャー・ジャハーンの迷走から力を失いつつあるのを見て、各地で民族蜂起が起こり、イギリスが侵略を強めたそうです。同時に皇位継承戦争が激化し、結局息子たち4人の血で血を洗う闘争が起こったそうです。シャージャハーンの後継者を狙っていたシャージャハーンの三男は、シャージャーハーンが他の兄弟を後継者に選ばないかと不安に駆られ、二人の兄を殺害してしまったとか。
そして、後継者争いの末に帝位に就いた三男アウランジーブによって、シャー・ジャハーンはアーグラー城の自ら造った塔に幽閉されてしまったそうです。このまま国費を使っていては国民の支持も得られず、また他国から攻め込まれたときに戦費を賄う事が出来なくなるのを恐れた為とも言われています。建設マニアと言われた王様だけあって、どんどん建物にお金を使ってしまっていた事が主な原因と言われています。
シャー・ジャハーンはここから愛妻が眠るタージ・マハルを望み、涙しながら日々を過ごしたという。
また、幽閉された部屋からはタージ・マハルを見る事が出来ず、可哀相に思った娘が鏡を渡し、その鏡に映して、タージ・マハルを眺めていたと言う説も。他の部屋に閉じ込められていた説もあるようです。
アウラングゼーブは幽閉中、父に会うことはなかったそうですが、父の死後、娘達からも、「大好きなお母さんと同じお墓に入れてあげたい」と訴えられ、遺体をタージマハルに移し、棺をムムターズ(愛妻)の隣に安置したとか。シャー・ジャハーンはムムターズ・マハルに寄り添い、復活の日を待ちながら、いまも眠っているそうです。
ただし、多くは伝説で、確証はないのだとか。シャー・ジャハーンはムムターズの死後も外征を行っているし、デリーに遷都さえしています。ただ、タージマハルがムムターズに捧げられたものであることは間違いないそうですが。
この白大理石にも象嵌細工が施されています。入口の柱には、ダイヤをはめ込んであったと言われる大きな穴もありました。植民地時代の略奪で、ほとんどの宝石は外されてしまったので。
奥に進む途中、また格子がありました。
こちらが囚われの塔の正面です。手前にディワニ・カースと言う貴賓謁見の間があって、広々とした空間があります。この建物の左手からもタージ・マハルが見えます。広場の中央には、黒いテーブルのようなものがあり、継ぎ目のない銀の板で、シャー・ジャハーンはこの上で昼寝をしたそうです。後に大砲の弾が飛んできて当たった跡があって、ヒビが入っています。その時の弾は建物にも当たったそうで、穴の跡があります。
中には入れないので、手前からの写真です。中央に噴水があり、奥にテラス(塔)があります。
こちらもタージ・マハル同様、白大理石に象嵌細工が素晴らしいです。大理石は冷たいから暑いインドで好まれたのでしょうか??
タージ・マハルでも感動しましたが、はめ込まれた一つひとつの石が、水晶、めのう、サンゴ、碧玉、琥珀、るり、カーネリアン、ダイヤモンドといった宝石だったそうです。精緻な象嵌細工で、宝石の色や濃淡を計算し、植物の形に削り込み、同時にピッタリ合うように大理石を彫って、一つひとつはめ込まれているそうです。でも、ほとんどの宝石は今は無くなっているので残念でなりません。
室内なのに噴水があります。噴水にも象嵌細工が施されています。
柱の一本一本にも丁寧な細工があり、本当に美しかったです。
広場の端っこにはまた目隠しの透かし彫りの壁がありました。
こちら側には私達は残念ながら上りませんでしたが、上からはもっと良くタージ・マハルが見えるそうです。
途中、不思議な急勾配の水路のような物がありました。こちらも排水用の物でしょうか?とても綺麗な模様です。
一通り見終わったので、元の入口へ戻ります。あ、お猿さんも歩いてる(^_^)
このアーチを潜ります。本当に、全ての造りが丁寧だなあと感心します。
さきほどのアングリー庭園に戻ってきました!
こちらは中には入れませんが、王様の浴場があった場所だとか。こうやって、皆が覗いていきます。
私達も覗きましたが、古いガラスの為、良く見通せませんでした。何となく見えるくらい。
ドアは厳重に鍵がかかっています。こちらのドアも模様がしっかり彫られていました。
先ほどの寝殿が見えます。手前に張り出したような形になっているのが、改めて分かりました。
お庭を囲む2階建ての建物には沢山のお猿さんがいました。こちらは2ショット♪♪
アングリー庭園と夫ちゃん(^_^)
皆で寝殿と記念撮影も♪♪
更に次の建物へ向かう途中、面白い床だったので。どこもかしこも模様がいっぱいです。
こちらは娘の部屋の窓から撮った囚われの塔です。他の人が撮ったのを貰いました。
金色の八角形の塔が印象的です。
こちらはシャー・ジャハーン帝が造らせた塔で、塔内からはヤムナー河が一望に見渡せ、その向うにタージ・マハルが望める絶好の場所でもあります。川から運ばれる涼風で暑さをしのげるため、皇帝の寝室として利用されていたとも考えられているとか。インドは本当に暑くなるので、暑さをしのぐことは大切な事だったのかもしれません。
そして、三男のアウラングゼーブ帝によって、亡くなるまでの7年間、ここに幽閉されていた為、ムサンマン・ブルジュ(囚われの塔)と呼ばれているそうです。
なぜ囚われたかと言うと、シャー・ジャハーンは最愛の妻が亡くなってあまりの悲しみに一夜にして髭を白くし、1週間公の場所に姿を見せず、2年間宴を催すことはなかったとか。喪が明けるとシャー・ジャハーンは政治を半ば放棄し、妻の墓の建築を開始し、天文学的な費用をかけ、22年費やし完成したが、このため国は経済的に傾いたそうです。このあとヤムナ川を挟んだタージマハルの対岸に、黒曜石で真っ黒な自分の霊廟の建立し、その間を橋で渡す計画を立てていました。しかし、ムガール帝国がシャー・ジャハーンの迷走から力を失いつつあるのを見て、各地で民族蜂起が起こり、イギリスが侵略を強めたそうです。同時に皇位継承戦争が激化し、結局息子たち4人の血で血を洗う闘争が起こったそうです。シャージャハーンの後継者を狙っていたシャージャハーンの三男は、シャージャーハーンが他の兄弟を後継者に選ばないかと不安に駆られ、二人の兄を殺害してしまったとか。
そして、後継者争いの末に帝位に就いた三男アウランジーブによって、シャー・ジャハーンはアーグラー城の自ら造った塔に幽閉されてしまったそうです。このまま国費を使っていては国民の支持も得られず、また他国から攻め込まれたときに戦費を賄う事が出来なくなるのを恐れた為とも言われています。建設マニアと言われた王様だけあって、どんどん建物にお金を使ってしまっていた事が主な原因と言われています。
シャー・ジャハーンはここから愛妻が眠るタージ・マハルを望み、涙しながら日々を過ごしたという。
また、幽閉された部屋からはタージ・マハルを見る事が出来ず、可哀相に思った娘が鏡を渡し、その鏡に映して、タージ・マハルを眺めていたと言う説も。他の部屋に閉じ込められていた説もあるようです。
アウラングゼーブは幽閉中、父に会うことはなかったそうですが、父の死後、娘達からも、「大好きなお母さんと同じお墓に入れてあげたい」と訴えられ、遺体をタージマハルに移し、棺をムムターズ(愛妻)の隣に安置したとか。シャー・ジャハーンはムムターズ・マハルに寄り添い、復活の日を待ちながら、いまも眠っているそうです。
ただし、多くは伝説で、確証はないのだとか。シャー・ジャハーンはムムターズの死後も外征を行っているし、デリーに遷都さえしています。ただ、タージマハルがムムターズに捧げられたものであることは間違いないそうですが。
この白大理石にも象嵌細工が施されています。入口の柱には、ダイヤをはめ込んであったと言われる大きな穴もありました。植民地時代の略奪で、ほとんどの宝石は外されてしまったので。
奥に進む途中、また格子がありました。
こちらが囚われの塔の正面です。手前にディワニ・カースと言う貴賓謁見の間があって、広々とした空間があります。この建物の左手からもタージ・マハルが見えます。広場の中央には、黒いテーブルのようなものがあり、継ぎ目のない銀の板で、シャー・ジャハーンはこの上で昼寝をしたそうです。後に大砲の弾が飛んできて当たった跡があって、ヒビが入っています。その時の弾は建物にも当たったそうで、穴の跡があります。
中には入れないので、手前からの写真です。中央に噴水があり、奥にテラス(塔)があります。
こちらもタージ・マハル同様、白大理石に象嵌細工が素晴らしいです。大理石は冷たいから暑いインドで好まれたのでしょうか??
タージ・マハルでも感動しましたが、はめ込まれた一つひとつの石が、水晶、めのう、サンゴ、碧玉、琥珀、るり、カーネリアン、ダイヤモンドといった宝石だったそうです。精緻な象嵌細工で、宝石の色や濃淡を計算し、植物の形に削り込み、同時にピッタリ合うように大理石を彫って、一つひとつはめ込まれているそうです。でも、ほとんどの宝石は今は無くなっているので残念でなりません。
室内なのに噴水があります。噴水にも象嵌細工が施されています。
柱の一本一本にも丁寧な細工があり、本当に美しかったです。
広場の端っこにはまた目隠しの透かし彫りの壁がありました。
こちら側には私達は残念ながら上りませんでしたが、上からはもっと良くタージ・マハルが見えるそうです。
途中、不思議な急勾配の水路のような物がありました。こちらも排水用の物でしょうか?とても綺麗な模様です。
一通り見終わったので、元の入口へ戻ります。あ、お猿さんも歩いてる(^_^)
このアーチを潜ります。本当に、全ての造りが丁寧だなあと感心します。
さきほどのアングリー庭園に戻ってきました!
こちらは中には入れませんが、王様の浴場があった場所だとか。こうやって、皆が覗いていきます。
私達も覗きましたが、古いガラスの為、良く見通せませんでした。何となく見えるくらい。
ドアは厳重に鍵がかかっています。こちらのドアも模様がしっかり彫られていました。
先ほどの寝殿が見えます。手前に張り出したような形になっているのが、改めて分かりました。
お庭を囲む2階建ての建物には沢山のお猿さんがいました。こちらは2ショット♪♪
アングリー庭園と夫ちゃん(^_^)
皆で寝殿と記念撮影も♪♪
更に次の建物へ向かう途中、面白い床だったので。どこもかしこも模様がいっぱいです。
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