ヒンドゥー教7大聖地のひとつとされる町マトゥラーは、ヴィシュヌ神の化身であるクリシュナが誕生したことで有名です。インド北部のウッタル・プラデーシュ州にある都市です。
誕生したとされる場所にはクリシュナ・ジャナムブーミという寺院が建立されています。クリシュナー・ジャンナブーミーとは、クリシュナーの誕生の土地といった意味だそう。
ここでは、カメラ、携帯など、全て外に預けていかないといけません。
運転手さんが、こちらは手配してくれました。一緒に来てくれて良かった~。
入口の身体検査は今までで一番厳重で、男性は3回も身体検査を受けたそう。私も今までで一番しっかりと身体を検査され、手荷物も3回スキャンチェックをして、更に開けて中身の確認もされました。
中には行ってみると、今までの宗教施設とはかなり違う雰囲気でした。
とても巨大です。でもやっぱり牛もいます。あの厳しい審査を潜り抜けて入ってきているのかと思うと不思議な感じがします。
運転手さんと検査で一旦はぐれてしまって焦りましたが、無事に合流する事が出来て、案内して貰いました。
まずは、靴と靴下を預けに行きます。ここで皆、裸足になりました。
それから、寺院の中へと入ります。
まずは上に上って景色を見渡しました。寺院の外まで見る事が出来て、夕暮れ時も手伝ってかなり素敵な景色が広がっていました。
そして、下に並んでいる人たちが見えたので、そこへ私達も行く事にしました。
1人ずつ入れるくらいの小さな入口があり、順番に進んでいきます。薄暗い細いトンネルみたいな通路を歩いていると、マントラなのか、不思議な詠唱と楽器の音が聞こえてきて、怖い。思わず夫ちゃんの手を掴みました。奥で光がゆらゆらしているような、うっすらとした明かりの中歩くので、不安になります。夫ちゃんがインディアナジョーンズみたいと言っていました。
その通路を抜けると、明るい祭壇のある場所に出て、歌?と鐘が大きくなり、皆座り込んだり、立っていたりしながら祭壇のクリシュナに向かってお祈りしていました。すごい怪しげな雰囲気と言うか、密教みたいな雰囲気ですごい!!ヒンドゥー教の寺院自体初めてだったのもありますが、これは本当に衝撃的。異文化と言うか、異宗教を物凄く感じます。
こんな体験ができるなんてインドだなあと強く思いました。
それから、更に隣の塔へ行ってみると、大きなクリシュナの絵があって、前で丸く座り込んでマントラを詠唱している集団も。
また別の場所では、マントラを詠唱しつつ、不思議な楽器を鳴らしつつ、信者が順に前に進んで行き、何かしています。これは何をすれば良いか良く分からなかったので参加しませんでした。
今回とても不思議だったのが、階段を上り始める時、上りきった時、降りる時、下り切った時に、皆階段をそっと撫でるように触り、それからその手を額に持っていってからお祈りをしていました。皆がやっているので私達も同じようにしましたが、何の意味があったのかとても気になります。タイミングを逃してしまって、聞けずに終ってしまったけど、いつか機会があったらぜひ聞いてみたいです。
こちらはネットで絵葉書の写真を見つけて、多分これだったと思います。どこかから頂いたのですが、URLもコピーするのを忘れてしまいました。ごめんなさい。また見つけたら参考URLを張っておきたいと思います。
かなり広い寺院でした!
下記抜粋:
宗教紛争の中心地
現在、インド人の誰に聞いても「クリシュナの生誕地」という認識がされているマトゥラーだが、意外にも宗教都市としての歴史は、仏教とジャイナ教に始まる。
紀元前4~2世紀頃、マウリヤ朝の宗教政策の庇護下、多くの仏教寺院やジャイナ教寺院が建てられたと言われており、少なくとも中国の僧玄奘(629~642年にインドに滞在、仏教の修行に勤め、のちに『大唐西域記』を記した)がマトゥラーを634年に訪れたときには、僧院が20、仏教僧が2,000人いたとされている。
同地がクシャーナ王朝支配下になった紀元後2世紀も、引続き仏教が栄えたが、その後、グプタ王朝期に入ると、ヒンドゥー教が隆盛を見せる。中でも、ヴィシュヌ神の信仰が特に篤かったが、同地域が半農半牧の生活様式であったため、ヴィシュヌ神の化身でありしばしば牧童の姿で描かれるクリシュナ神がこの地域の圧倒的支持を得ることとなった。
このクリシュナ神が、このマトゥラーで生まれたとされている。
こうして、ヒンドゥー教によって、この地域から仏教はほぼ完全に姿を消したが、そののち今度はヒンドゥー教が駆逐される。
アフガン系イスラム王朝のガズニ朝の君主マフムードによって、この地域一帯はイスラムに塗り替えられた。
その後16世紀に入り、再び商人・農民の間で、マトゥラーはクリシュナ神の生誕地であるとして、クリシュナ信仰が盛んになる。この時期、クリシュナ神を祀るケーサオ・デーオ寺院などが建立されたが、1500年にローディー王朝(イスラム系奴隷王朝)によって破壊され、再建築されたのち1669年に今度はムガル王朝(これまたイスラム系)によって破壊された。こうして、イスラム王朝によるヒンドゥー弾圧政策によってこの地は破壊され、その後イスラム寺院が建設された。
このイスラム寺院と、その後1960年建てられた新生ケーサオ・デーオ寺院は隣接するように建っているが、近年のある宗教紛争がきっかけで、今現在、ここには極めて厳重な警戒態勢が敷かれている。
1990年代初頭、時の政権政党インド人民党(BJP)は、イスラム原理主義勢力を牽制する意味で、イスラム対ヒンドゥーの対立構造を助長し、その1つとしてアヨーディヤー(デリーの東約630kmに位置するウッタル・プラデーシュ州の一都市)の寺院を槍玉に上げた。同地に現在存在するイスラム教モスクは、以前ヒンドゥー神ラームの生誕地を祀った寺院があった場所であり、ヒンドゥー教徒に同地を返せというのがBJPの見解だった。
1992年12月16日、ついに物理的衝突が発生・・・ヒンドゥー至上主義者が同モスクを破壊した。
これに端を発し、宗教紛争がインド全土に飛び火、近隣諸国にも影響を及ぼす一大事になってしまった。1994年に、最高裁判所がアヨーディヤーの土地の所有権について裁定をしない旨決定し(要はお蔵入り)、時間とともに平静を取り戻しつつあるが、2002年にもアヨーディヤーで巡礼を終えたヒンドゥー教徒を乗せた列車に、イスラム教徒が放火し、多数の焼死者を出すという事件も発生しており、お互いの中ではまだ何かくすぶっている感じだ。
・・・と、話をマトゥラーに戻すと、上記アヨーディヤーの宗教紛争の経緯とマトゥラーの歴史が似ている(昔ヒンドゥー寺院のあった場所にモスクが建っている)ので、今でもマトゥラーの寺院の警備はとても厳しいのだ。
実は、今現在の土地がどの教徒のものなのか、という問題はインドでは結構多い。
上述のアヨーディヤーは、ヒンドゥー教が興る前に仏教が盛んだったため、寺院建立地の所有権紛争には仏教も絡んでいる。
また、仏教ゆかりの地ブッダガヤーでも、大菩提寺の所有権をめぐって、ヒンドゥー教徒と仏教徒が争っている。現在は、1949年に制定された大菩提寺管理法に基づいてヒンドゥー教徒が管理しているが、インド仏教のリーダー佐々井秀嶺(インド仏教のリーダーはなんと日本人なのだ)率いる大菩提会による返還運動が行われている。
http://bharatiya.exblog.jp/2454008
参考URL↑
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%88%E3%82%A5%E3%83%A9%E3%83%BC
ウィキ参考↑
あっと言う間に暗くなってしまって、出たらもうすぐ帰る時間になっていました。1時間くらい中を探検していたようです。
そして、初めてのインド式トイレ体験も!この写真は、外の明るいトイレがあったので撮っただけ。かなり綺麗なトイレです。蛇口のお水は流しっぱなしのよう。
私は寺院内のトイレに行きましたが、電気も無く、紙もなく、穴と蛇口から流れる水があるだけ・・・
臭いし怖いし、ティッシュは持っていたから良かったけど、なるべく入りたくないなあと言う感じでした。でも寺院内だけあって、掃除が行き届いていてとても綺麗なトイレだったとは思います。ドアを閉めたら真っ暗だったけど、日が昇っているうちなら、上の明り取りから光が入って明るかったと思います。ただ上の写真とは違ってタイル張りでは無くて、ただのコンクリートに穴が開いているだけと言う感じでした。
明日はもう帰るだけだし、最後にインドの現地トイレを体験できて良かったかな(^_^)
誕生したとされる場所にはクリシュナ・ジャナムブーミという寺院が建立されています。クリシュナー・ジャンナブーミーとは、クリシュナーの誕生の土地といった意味だそう。
ここでは、カメラ、携帯など、全て外に預けていかないといけません。
運転手さんが、こちらは手配してくれました。一緒に来てくれて良かった~。
入口の身体検査は今までで一番厳重で、男性は3回も身体検査を受けたそう。私も今までで一番しっかりと身体を検査され、手荷物も3回スキャンチェックをして、更に開けて中身の確認もされました。
中には行ってみると、今までの宗教施設とはかなり違う雰囲気でした。
とても巨大です。でもやっぱり牛もいます。あの厳しい審査を潜り抜けて入ってきているのかと思うと不思議な感じがします。
運転手さんと検査で一旦はぐれてしまって焦りましたが、無事に合流する事が出来て、案内して貰いました。
まずは、靴と靴下を預けに行きます。ここで皆、裸足になりました。
それから、寺院の中へと入ります。
まずは上に上って景色を見渡しました。寺院の外まで見る事が出来て、夕暮れ時も手伝ってかなり素敵な景色が広がっていました。
そして、下に並んでいる人たちが見えたので、そこへ私達も行く事にしました。
1人ずつ入れるくらいの小さな入口があり、順番に進んでいきます。薄暗い細いトンネルみたいな通路を歩いていると、マントラなのか、不思議な詠唱と楽器の音が聞こえてきて、怖い。思わず夫ちゃんの手を掴みました。奥で光がゆらゆらしているような、うっすらとした明かりの中歩くので、不安になります。夫ちゃんがインディアナジョーンズみたいと言っていました。
その通路を抜けると、明るい祭壇のある場所に出て、歌?と鐘が大きくなり、皆座り込んだり、立っていたりしながら祭壇のクリシュナに向かってお祈りしていました。すごい怪しげな雰囲気と言うか、密教みたいな雰囲気ですごい!!ヒンドゥー教の寺院自体初めてだったのもありますが、これは本当に衝撃的。異文化と言うか、異宗教を物凄く感じます。
こんな体験ができるなんてインドだなあと強く思いました。
それから、更に隣の塔へ行ってみると、大きなクリシュナの絵があって、前で丸く座り込んでマントラを詠唱している集団も。
また別の場所では、マントラを詠唱しつつ、不思議な楽器を鳴らしつつ、信者が順に前に進んで行き、何かしています。これは何をすれば良いか良く分からなかったので参加しませんでした。
今回とても不思議だったのが、階段を上り始める時、上りきった時、降りる時、下り切った時に、皆階段をそっと撫でるように触り、それからその手を額に持っていってからお祈りをしていました。皆がやっているので私達も同じようにしましたが、何の意味があったのかとても気になります。タイミングを逃してしまって、聞けずに終ってしまったけど、いつか機会があったらぜひ聞いてみたいです。
こちらはネットで絵葉書の写真を見つけて、多分これだったと思います。どこかから頂いたのですが、URLもコピーするのを忘れてしまいました。ごめんなさい。また見つけたら参考URLを張っておきたいと思います。
かなり広い寺院でした!
下記抜粋:
宗教紛争の中心地
現在、インド人の誰に聞いても「クリシュナの生誕地」という認識がされているマトゥラーだが、意外にも宗教都市としての歴史は、仏教とジャイナ教に始まる。
紀元前4~2世紀頃、マウリヤ朝の宗教政策の庇護下、多くの仏教寺院やジャイナ教寺院が建てられたと言われており、少なくとも中国の僧玄奘(629~642年にインドに滞在、仏教の修行に勤め、のちに『大唐西域記』を記した)がマトゥラーを634年に訪れたときには、僧院が20、仏教僧が2,000人いたとされている。
同地がクシャーナ王朝支配下になった紀元後2世紀も、引続き仏教が栄えたが、その後、グプタ王朝期に入ると、ヒンドゥー教が隆盛を見せる。中でも、ヴィシュヌ神の信仰が特に篤かったが、同地域が半農半牧の生活様式であったため、ヴィシュヌ神の化身でありしばしば牧童の姿で描かれるクリシュナ神がこの地域の圧倒的支持を得ることとなった。
このクリシュナ神が、このマトゥラーで生まれたとされている。
こうして、ヒンドゥー教によって、この地域から仏教はほぼ完全に姿を消したが、そののち今度はヒンドゥー教が駆逐される。
アフガン系イスラム王朝のガズニ朝の君主マフムードによって、この地域一帯はイスラムに塗り替えられた。
その後16世紀に入り、再び商人・農民の間で、マトゥラーはクリシュナ神の生誕地であるとして、クリシュナ信仰が盛んになる。この時期、クリシュナ神を祀るケーサオ・デーオ寺院などが建立されたが、1500年にローディー王朝(イスラム系奴隷王朝)によって破壊され、再建築されたのち1669年に今度はムガル王朝(これまたイスラム系)によって破壊された。こうして、イスラム王朝によるヒンドゥー弾圧政策によってこの地は破壊され、その後イスラム寺院が建設された。
このイスラム寺院と、その後1960年建てられた新生ケーサオ・デーオ寺院は隣接するように建っているが、近年のある宗教紛争がきっかけで、今現在、ここには極めて厳重な警戒態勢が敷かれている。
1990年代初頭、時の政権政党インド人民党(BJP)は、イスラム原理主義勢力を牽制する意味で、イスラム対ヒンドゥーの対立構造を助長し、その1つとしてアヨーディヤー(デリーの東約630kmに位置するウッタル・プラデーシュ州の一都市)の寺院を槍玉に上げた。同地に現在存在するイスラム教モスクは、以前ヒンドゥー神ラームの生誕地を祀った寺院があった場所であり、ヒンドゥー教徒に同地を返せというのがBJPの見解だった。
1992年12月16日、ついに物理的衝突が発生・・・ヒンドゥー至上主義者が同モスクを破壊した。
これに端を発し、宗教紛争がインド全土に飛び火、近隣諸国にも影響を及ぼす一大事になってしまった。1994年に、最高裁判所がアヨーディヤーの土地の所有権について裁定をしない旨決定し(要はお蔵入り)、時間とともに平静を取り戻しつつあるが、2002年にもアヨーディヤーで巡礼を終えたヒンドゥー教徒を乗せた列車に、イスラム教徒が放火し、多数の焼死者を出すという事件も発生しており、お互いの中ではまだ何かくすぶっている感じだ。
・・・と、話をマトゥラーに戻すと、上記アヨーディヤーの宗教紛争の経緯とマトゥラーの歴史が似ている(昔ヒンドゥー寺院のあった場所にモスクが建っている)ので、今でもマトゥラーの寺院の警備はとても厳しいのだ。
実は、今現在の土地がどの教徒のものなのか、という問題はインドでは結構多い。
上述のアヨーディヤーは、ヒンドゥー教が興る前に仏教が盛んだったため、寺院建立地の所有権紛争には仏教も絡んでいる。
また、仏教ゆかりの地ブッダガヤーでも、大菩提寺の所有権をめぐって、ヒンドゥー教徒と仏教徒が争っている。現在は、1949年に制定された大菩提寺管理法に基づいてヒンドゥー教徒が管理しているが、インド仏教のリーダー佐々井秀嶺(インド仏教のリーダーはなんと日本人なのだ)率いる大菩提会による返還運動が行われている。
http://bharatiya.exblog.jp/2454008
参考URL↑
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%88%E3%82%A5%E3%83%A9%E3%83%BC
ウィキ参考↑
あっと言う間に暗くなってしまって、出たらもうすぐ帰る時間になっていました。1時間くらい中を探検していたようです。
そして、初めてのインド式トイレ体験も!この写真は、外の明るいトイレがあったので撮っただけ。かなり綺麗なトイレです。蛇口のお水は流しっぱなしのよう。
私は寺院内のトイレに行きましたが、電気も無く、紙もなく、穴と蛇口から流れる水があるだけ・・・
臭いし怖いし、ティッシュは持っていたから良かったけど、なるべく入りたくないなあと言う感じでした。でも寺院内だけあって、掃除が行き届いていてとても綺麗なトイレだったとは思います。ドアを閉めたら真っ暗だったけど、日が昇っているうちなら、上の明り取りから光が入って明るかったと思います。ただ上の写真とは違ってタイル張りでは無くて、ただのコンクリートに穴が開いているだけと言う感じでした。
明日はもう帰るだけだし、最後にインドの現地トイレを体験できて良かったかな(^_^)
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