2012年7月11日水曜日

台湾産 阿里山 バナナ

台湾産のバナナが好きです(^_^)
でも、近くのスーパーでは売っていないので、見つけたら買うようにしています。
味が濃くてとっても美味しいので、もっとあちこちで売って欲しいな。

下記抜粋:
台湾はバナナ生育の条件である気候的には寒く、フィリピンでは8か月で収穫できるのに台湾では収穫まで12か月から13か月かかるものもあり、促成栽培でなくじっくり成長するため味、香りが濃くなる。
台湾は小さい島だが、富士山より高い山があったり、熱帯地域があったり、北と南では気温も違い、均一な気候風土ではない。また、台湾は台風銀座とも呼ばれ、毎年多くの台風が通過し、バナナ畑にも被害をおよぼす。 台湾が日本の統治下にあった時代に、日本人が現地の農民に日本の果物の端境期である春先から初夏の時期にあわせて出荷できるように、バナナ栽培を指導していた。
 同じ台湾バナナでも、時期によって色、形態が微妙に変化する。1月中旬から3月中旬は「冬蕉」(冬バナナ)と呼び、3月中旬から4月中旬は「花竜仔蕉」、4月中旬から5月中旬は「黒皮春蕉」等々。名前のように緑が濃く「黒い皮」のようなバナナや、「白い皮」のバナナ、頭が丸く大きいバナナ、さきが尖ったバナナといった違いがある。

・エクアドル、フィリピン産の参入
台湾バナナは度々台風の直撃を受けたことと、昭和37年にコレラが流行ったことにより出荷量がさらに減少するが、同時期にエクアドルが日本市場に売り込みを開始し、一時は市場の8割を占めるまでにエクアドル産バナナが台湾バナナのシェアを奪った。だが、エクアドル産バナナは長距離輸送と管理において台湾バナナに品質の面で大きく水をあけられており、台湾バナナは昭和42年頃に再びシェア8割を確保するようになった。
一方、昭和49年になるとフィリピン産バナナが台湾バナナの前に立ちはだかった。昭和42年頃のフィリピン産のシェアは2%代だったが、日本の商社が大規模生産を開始し、昭和48年には約5割、昭和49年以降には7割のシェアを奪うまでになる。品質は台湾バナナに及ばないものの、輸送距離の短さによる品質劣化が少なかったことが、フィリピン産バナナの躍進に繋がった。
しかし、バナナの消費大国だった日本ではこの時期、急激にバナナの消費自体が減少していく。これには経済成長と輸送技術の進歩、収穫期をずらして果実を収穫できるハウス栽培の一般化によって、バナナ以外にも果実の選択肢が広がったことが原因としてあげられている。

・現在の状況
平成19年の市場シェアは約2%となっているが、バナナは再び健康食品として注目を集めており、バナナの消費は増加傾向にある。特に高品質の台湾バナナは健康やダイエットを求める消費者の嗜好に合致するものとして近年売り込みを行っており、大規模ショッピングセンターなどでは台湾バナナはラインナップの一つとして定着しつつある。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%B0%E6%B9%BE%E3%83%90%E3%83%8A%E3%83%8A
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